28年前の香港出張

知る人ぞ知る、世界でもっともランディングで難易度が高い空港だった、

「香港啓徳空港」。

私が初めて海外出張で行った先は香港、1995年のことでした。

月に一度は香港を訪ね、ランディングの時にビルの間をすり抜けていく感じが凄くて、よく揺れた。毎回ビクビクしながら出張に行ったのを覚えてます。

当時はまだ中国返還前で、公用語は全て英語か広東語。マンダリンは全く受け付けない。街中は活気づいていた。

取引先社長や香港富裕層達の間で、香港が中国に返還されたらどうなってしまうのか、という不安からカナダやアメリカ、オーストラリアへの移民申請の話題で溢れていました。

九龍にあるキンバリーホテルにいつも泊まっていた。

5スターじゃないのに、一泊4万円は下らない時代。

当時の九龍にある雑居ビル内には、オフィスだけでなく、織機がカシャンカシャンと音を立てて服を生産していた。当時のアパレル業界は、MADE IN HONGKONGでもギリ値段は合っていた。

為替レートは一時、1$=70円台まで達するという超円高を付け、ますます日本企業の海外進出が加速した時期でもありました。「価格破壊」という言葉もこの頃から。

あれよあれよと言ってる間に、深圳、東莞に工場を建てるとなり、深圳の羅湖税関ゲートから出ると、舗装されていない道の向こう側に、シャンゴリラホテルだけが建っていた。周りは全部小山、丘?

当時はWIN95が発売されたばかり、まだノートパソコンを持って出張に行く時代ではなく、毎回”コレポン(取引先とのFAX記録紙のファイル)”を大量にトランクに詰めて商談に臨んだ。

28年が経ち、少しだけ昔のことを振り返ってみました。

時代は変わりましたね。。

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